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名古屋高等裁判所 昭和61年(ネ)230号 判決

控訴人(一審原告)

加藤美智子

控訴人(一審原告)

加藤隆

控訴人(一審原告)

加藤修

右控訴人ら訴訟代理人弁護士

平田米男

大竹正江

荒木清寛

松波克英

大山泰生

被控訴人(一審被告)

平野輝雄

右訴訟代理人弁護士

青木仁子

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人は控訴人らに対し、別紙物件目録記載(一)の土地についてなされた名古屋法務局甚目寺出張所昭和五七年七月二日受付第六八四五号共有者全員持分全部移転登記の抹消登記手続をせよ。

三  被控訴人は控訴人加藤美智子に対し、別紙物件目録記載(二)の建物についてなされた名古屋法務局甚目寺出張所昭和五七年七月二日受付第六八四六号所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

四  訴訟費用は第一、二審とも全部被控訴人の負担とする。

事実

控訴人らは主文同旨の判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張及び証拠は、控訴人らにおいて、「被控訴人は不動産業者であるから、売買契約や不動産価格の評価などについて専門的知識を有し、代理権の有無についても重い調査義務を課せられるべきところ、本件売買の目的となつた別紙物件目録記載の土地建物(以下本件土地建物という。)は現に控訴人美智子の居住している家屋敷であること、被控訴人は控訴人らとは一面識もなく、訴外吉田佑成(当時は旧姓河野。以下、旧姓により「河野」という。)ともまた面識がなかつたところ、右河野の携行してきた念書(乙第一号証)には「金員入用のため借用するに対して云々」と記載されていたにすぎないのに、右河野は、これを超え、しかも時価よりも安価で売却しようとしていること、更に、控訴人らの意思を確認することは電話一本でも可能なのにこれを怠つたことなどの各事実を総合すれば、被控訴人には、河野が真実本件土地建物を売買する代理権を有しているか否かを控訴人らに確認すべき義務があり、この調査義務を怠つた被控訴人には、河野に本件売買契約締結の代理権があると信ずるについて正当の理由があるとはいえないというべきである。」と述べ、甲第五ないし第八号証を提出し、被控訴人において、「河野は控訴人美智子の息子たる控訴人隆の勤務先の社長であり、世情にうとい女性や若い息子らが信頼の置ける社長に法律行為の代理を委任することになんら不自然な点はなく、しかも河野は控訴人らの付与した印鑑証明書、実印等を持参していたから、同人が代理人であることを疑う余地は全くなかつたのである。従つて仮に河野に本件契約を締結する代理権がなかつたとしても、被控訴人が同人を代理人と信じたことについてなんら責められるべき点はない。」と述べ、右甲号各証の成立を認めたほかは、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

理由

一本件土地が控訴人らの共有に属し、また本件建物が控訴人美智子の所有に属すること、並びに右土地建物につき、被控訴人のため原判決添付登記目録記載の各登記(以下これらを一括して本件登記という。)がなされていることは、当事者間に争いがない。

二そこで、被控訴人の抗弁について判断するに、被控訴人はまず、控訴人らは代理人・河野を介して本件土地建物を被控訴人に売り渡した旨主張する。確かに、右河野と被控訴人との間に被控訴人主張のような本件土地建物の売買契約の締結行為が行われたことも当事者間に争いがないが、しかし、河野が本件土地建物売却の代理権を有したとは本件全証拠によるもこれを肯認しえないから、右被控訴人の主張は失当である。

三次に被控訴人は、河野が本件土地建物につき右売買契約をする代理権を有していなくても、被控訴人には同人を代理人と信ずべき正当の理由があつたから、民法一一〇条により右契約の効力は控訴人らに及ぶ旨主張する。

そこで、まず本件の事実関係をみるに、河野が控訴人隆の勤務先である訴外メカシール株式会社の社長であつたこと、控訴人らが昭和五七年六月二五日右河野に対し国民金融公庫から五〇〇万円の融資を受けるにつき代理権を与えたこと、控訴人らが河野に実印、印鑑証明書及び本件土地建物の権利証のほか被控訴人主張の念書(乙第一号証)を交付したので、契約に際して河野がこれらのものを所持していたこと、以上の各事実は当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、本件売買契約に至る経緯は次のようであつたと認められる。

1  本件建物は控訴人美智子の自宅、本件土地はその敷地であるが、昭和五七年五、六月ころ、同控訴人は本件建物の改修を企てたことと暫時知人に金員を用立ててやる必要のあつたことから、一宮信用金庫に本件土地建物を担保に金五〇〇万円の融資方を申込み、その内諾をとりつけていた。右手続をすすめるには本件土地建物の権利証、控訴人らの各印鑑証明書、実印のほか所得証明書が必要であると一宮信用金庫から言われていたので、控訴人美智子はその余の控訴人らに言つてこれらの必要書類を取り揃えたが、控訴人隆の所得証明が不備だつたので、美智子は昭和五七年六月二五日、まず隆の勤務先であるメカシール株式会社に寄つてから一宮信用金庫に赴くべく、隆の所得証明以外の前記必要書類、実印等を持つてメカシール株式会社に出かけた。そして、同社において美智子は同社社長・河野に対し、上記事情を説明したところ、同人から、「融資を受けるなら銀行で借りるよりも国民金融公庫から借りたほうが金利が安いし、個人が手続するよりも会社が手続したほうが早く借りられるから、代わつて手続してあげよう。」と言われてこれに従うこととし、同所で直ちに河野に対し、控訴人らに代わつて本件土地建物を担保に国民金融公庫から五〇〇万円の融資を受けることを委任し、同日、本件土地建物の権利証、控訴人らの印鑑証明書を、また二、三日後に、控訴人隆を介して控訴人らの実印を河野に交付した。その後更に同年七月一日、控訴人美智子は河野に言われるまま、「私及び息子二名所有の後記不動産登記簿謄本添付の物件を、本日金員入用のため借用するに対して、如何様なる登記手続一切の書類を交付について所有者が一切を承諾の上手交した事は間違い有りません事を後日の証として一筆差入れます。又此の事の手続一切をメカシール株式会社社長河野佑成に委任した事も間違い有りません。」なる文章の「念書」(乙第一号証)を、河野の用意した草稿を白紙に移記する形で書き、控訴人美智子、隆の署名押印はその場で各本人がなし、控訴人修の署名はメカシール株式会社の従業員が代筆してなしたうえその名下に同控訴人の実印で押捺し、右書面を河野に交付した。

2  他方、被控訴人は宅地建物取引業を営んでいるものであるが、昭和五七年六月二七、八日ころ、かねて知合いの木村某(被控訴本人によれば、同人は競売物件の競落等をしばしばしていたもので、同人とは商売上のつきあいがあつたという。)から、「メカシール株式会社の社長の河野という者から従業員に金を必要とする者がいて本件土地建物を担保に一五〇〇万円貸してくれないかという話が持ち込まれているが、受けてくれないか。」と言われ、「自分は金融業者ではないから金を貸すのは断る。ただし、買うのならよい。」と返事していたところ、その一両日後に木村が再び被控訴人方に来て「売買でよいが、買戻しの条件をつけてもらいたい。」というので、これを承諾し、同日木村と被控訴人の間で、代金一五〇〇万円で本件土地建物を売買する、ただし期間三か月、買戻代金一七五〇万円の買戻条件をつける旨の下話ができ上つた。

そうして、同年七月一日に名古屋市東区東外堀町所在の司法書士大崎晴由事務所で正式の契約締結と登記手続等の依頼をしようということになり、被控訴人が「その日は本人達が来るのか。」と聞いたところ、木村の答えは「河野が本人から全面委任を受けたという書類を持つて出てくる。」というものであつた。なお、被控訴人は木村から本件土地建物の登記簿謄本を示され、右物件が先順位の抵当権等のないいわゆる無きずの不動産であることを知つていたし、実地に見分することもしなかつたが、職業上、おおよその時価相当額は見当をつけていた。「約二〇〇〇万円と踏んでいた。」旨、被控訴人は原審の本人尋問において述べている。

3  同年七月一日、前記司法書士事務所に被控訴人、木村、河野が集まり、同所において、控訴人らが本件土地建物を被控訴人に対し代金一五〇〇万円で売り渡す趣旨の不動産売買契約証書(乙第五号証。ただし、その買戻特約に関する余白部分の書き込みが後日書き加えられたものであることは後記のとおり。)を作成した後、大崎司法書士に所有権移転と買戻特約の登記手続を依頼した。被控訴人と河野はその日が初対面であつたが、河野は前記念書(乙第一号証)のほか、前記のようにして控訴人美智子から預かつた控訴人らの印鑑証明書、実印及び本件土地建物の権利証を所持しており、乙第五号証中の控訴人らの署名押印部分、乙第六号証中の控訴人らの押印部分は河野が書き或いは捺印したものである。

ところで、同日作成された右契約書は「不動産売買契約証書」と題する印刷された市販の契約書に必要事項を書き入れたもので、買戻しのことは記載されず、これが書き加えられたのは数日後に被控訴人によつて加えられたものである。すなわち、大崎司法書士に依頼した本件登記手続は昭和五七年七月二日に完了し、同司法書士から被控訴人にその旨の登記済証書(乙第六、第七号証)が交付されたが、それには本件土地建物の買戻代金が土地と建物で各別に表示されていた。そこで被控訴人は、それでは本件建物のみの買戻しといつたこともありうることになるがそうなると困ると考え、木村に連絡して買戻すときは一括して買戻すことを契約書中に書き加えておきたいことと、また別に被控訴人において文案を作成した「本日貴殿と売買契約を締結致しました後記不動産については昭和五七年九月末日迄に土地建物一括して買戻します云々」の文言の書かれた「念書」(乙第一〇号証)に控訴人らの署名押印をもらつてほしい旨要請した。その結果前記売買契約書(乙第五号証)に「一、売主は本日より参ケ月間に限り売渡物件の全部を一括して金一七五〇万円にて買戻す事が出来る。二、売主は土地建物を各々別個には買戻し出来ない事を承諾した。」なる買戻特約の記載が被控訴人によつて書き足され、右念書(乙第一〇号証)には控訴人隆の署名押印のみが得られて被控訴人に届けられたのである(その余の控訴人らの署名は、河野が控訴人美智子に会えなかつたため得ることができなかつたものである。)。

ちなみに、被控訴人は本件土地建物の売買代金として一五〇〇万円を昭和五七年七月一日と二日の両日に分けて河野に支払つたが、河野が控訴人美智子に渡した金員は五〇〇万円のみである。

かように認められ、右認定を動かすに足る証拠はない。

四以上認定の事実関係によれば、控訴人らは河野に対し、本件土地建物を担保に国民金融公庫から五〇〇万円の融資を受けることの代理権(基本代理権)を授与していたところ、河野はこれを超え、本件売買契約締結の代理権があるかのように行動し、被控訴人は一応これを信じていたと認められるから、被控訴人の右信頼に正当事由が存するか否かにつき判断するに、一般に本人が他人に対し自己の実印、印鑑証明書、権利証等を交付し、これを使用して或る行為をなすべき権限を与えた場合に、その他人が代理人として権限外の行為をなしたとき、取引の相手方となつた第三者は、それらのものを託された代理人がその取引をする代理権を有すると信ずるのは無理からぬところであるから、特別の事情のない限り、そのように信じたことにつきいわゆる正当の事由があつたといえよう(殊に本件については、前記のように基本代理権の中に担保提供権を含み、そして締結された売買契約が、単純なそれでなく、買戻し付きのものであるから、右の理は一層然りといえよう。)。しかし、そのような場合であつても、なおその者に当該本人を代理して法律行為をする権限の有無について疑念を生じさせるに足る特別の事情が存する場合には、相手方としては代理人と称する者の代理権限の有無について更に確認手段をとるべきものであるから、その調査を怠りその者に代理権があると信じても、そのように信じたことに過失がないとはいえない(最高裁昭和三六年一月一七日判決・民集一五巻一号一頁、同昭和三六年一二月一日判決・判例時報二七九号一一頁、同昭和四二年一一月三〇日判決・民集二一巻九号二四九七頁等参照。)。

そこで、かかる特別事情の存否を本件についてみるに、前叙の事実関係によると、(1)本件土地建物が現に控訴人美智子の住居になつている不動産であることは被控訴人も認識していたものであるところ、およそ自宅を手放すことが所有者にとつて重要な財産の処分にあたるのはいうまでもない。そうして、本件土地は名古屋市に隣接する甚目寺町に位置する一二三坪余りの宅地であるが、本件売買契約における代金額一五〇〇万円は、建物を別にしても坪当り一二万円強(一平方メートル当り三万六〇〇〇円強)にすぎない。被控訴人自身の認識よりするも、右は時価を相当に下廻るものであつた。しかも、本件取引の話が、最初は本件土地建物を担保にして金融を受けたいという話として(即ち売却処分という話としてではなく)被控訴人のところに持ち込まれたものであることは上記認定のとおりである。(2)被控訴人は控訴人らとはもちろん、河野とも契約当日まで全く面識がなかつたものであるところ、河野が同日持参してきた控訴人らの委任状に相当する念書(乙第一号証)の文言が一見して金融を得ることを主眼としたものであることも前記のとおりである。そうして、このように金融という点に主眼を置いてみる限り、買戻約款付売買も金融の一手段には違いないが、通常借主にとつて最も割の悪いものであり、殊に本件の買戻条件たる三か月後に一七五〇万円というのは、それだけでも月五分五厘の利息計算になる。そのうえ、右契約日に作成された契約書には買戻しのことが全く記載されていなかつたこと前認定のとおりである。これは、河野がその点についての契約書の作成を特に要求しなかつたからと推認されるが、ここらにも河野が、控訴人らの代理人として控訴人らの利益のために振る舞う者としては、甚だ頼りない行動をとつていたことが窺われる。このような河野の動静は、被控訴人が後に本件建物だけの買戻請求を避けるためだけにその文書化を要求したことと対比し、特に対照的である。(3)控訴人らは抵当権等何らの制約のない不動産を有していたのであるから、銀行等でより低利の融資を受けえた事情にあつたのであり、被控訴人がもし慎重に行動して控訴人らの意思を確認しようとすれば、それこそ一挙手一投足の労をとるだけで足りたことである。

本件については、以上のような事情にあつたことが認められるのであつて、このような事実関係のもとにおいては、不動産業者である被控訴人が、河野が控訴人隆の勤め先の社長であり、控訴人らの実印、印鑑証明書等前記のような書類を所持しているというだけで、売買についての河野の代理権を軽信し、控訴人らに問い合わせるなどしてより慎重に行動しなかつたのは過失というべきであり、買主たる被控訴人において河野に売買についての代理権ありと信ずるについて正当な事由があつたとみることはできない。なお、前掲各証拠によると、上記各事実とは別に、被控訴人が木村からメカシール株式会社が収益性の高い会社であると聞かされていたことや金の支払を急がされていたことなどの事情も認められるが、これらの事実は未だ右の判断を左右するに足りない(ちなみに、控訴本人隆の原審供述によると、右メカシール株式会社は本件契約の行われた直後倒産していることが認められるのであつて、被控訴人は河野とは初対面であつたのであるから、本来ならば同会社の信用も調査してもおかしくないところで、そうすれば右倒産直前の状況であることも容易に察知しえたであろうと推認される。)。

五以上のとおりであるから、被控訴人の抗弁は理由がなく、控訴人らの請求を正当なものとして認容すべきである。

よつて、これと異なる原判決を取り消し、控訴人らの請求をいずれも認容し、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小谷卓男 裁判官海老澤美廣 裁判官笹本淳子)

別紙物件目録

(一) 愛知県海部郡甚目寺町大字上萱津字大門九六番

宅地 四〇六・六一平方メートル

(二) 右同所同番地

家屋番号九六番

木造セメント瓦・亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅

床面積 一〇四・九九平方メートル

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